
縁側で photo by Remi Fukuda
九十九里町観光大使・かのんぷ♪と、九十九里町地域おこし協力隊が取り組む連載企画
かのんぷ♪×九十九里町地域おこし協力隊 特別企画 vol.4
【九十九里と、編む。】
この地に移り住む人、働く人、子を育てる人――暮らしの言葉を丁寧に紡ぎ、「九十九里」という地域の輪郭を描く対談シリーズ。
第4回のゲストは、九十九里町真亀に住む宇津木みのさん。大網(現・大網白里市)の出身で、結婚を機に九十九里町へ移り住んだ。介護を機に40代でフラダンスを始め、コロナ禍をきっかけに指導を退くまで、十数年にわたり地域の教室で講師を務めた。日本家屋で暮らす日々の知恵と九十九里で重ねてきた歳月について聞いた。
── お嫁入りと九十九里の食卓
かのんぷ♪中村里衣(以下、里衣)「まず、九十九里町に来られた経緯を教えてください」
宇津木美乃(以下、宇津木)「大網の出身です。九十九里町には嫁いで来ました」
宇津木さんの実家は大網の山側にあり、当時は魚に触れる機会が少なかったという。
宇津木「実家は山の方で、上の方だったので、あまり魚のことは知りませんでした。九十九里に来てから、魚料理を覚えるようになりました」
家庭では「いわしのかば焼き丼」を作り続けてきた。イワシの中骨を取って血抜きし、しょうゆやみりんなどで下味を付けてから片栗粉をまぶして揚げ焼きにし、タレを絡める。
宇津木「かば焼きといっても、いわゆるうなぎのかば焼きとは全然違います。自分なりの味です」
観光客や移住者に向けた郷土料理の入り口としては、天ぷらや南蛮漬けを勧める。
宇津木「一番食べやすいのは天ぷら。南蛮漬けも好きで、よく作ります」

家庭によってイワシの料理が異なる photo by Remi Fukuda
── 親族の介護を経てフラダンスへ
長く親しんだフラダンスを始めたきっかけは、親族の介護だったと振り返る。
宇津木「しばらく親族の介護をしていて、その後、手持ち無沙汰になって。自分の趣味も持ちたいと思って始めたのがフラでした」
フラの前には日本舞踊を4、5年ほど習い、文化会館の発表会にも出演した経験があるという。フラダンスは白里地区の教室で、東京から来た講師に基礎を学んだ。
宇津木「きちんと基礎を教えてくれるということで習ってみたいと思いました」以来、十数年にわたり一度も休まず教室に通い続けた。
宇津木「皆さんが来てくださるのに、休むわけにはいかないので」
新型コロナウイルスの感染拡大で夜の練習が難しくなり、家族の勧めもあって指導から退いた。
宇津木「事故があっても困りますし、自分に何かあっても困る。それでやめる決心をしました」

趣のある居間 photo by Remi Fukuda
── かのんぷ♪との20年来の縁
かのんぷ♪の2人と宇津木さんたちフラダンスグループとの縁は、約20年前にさかのぼる。かのんぷ♪が九十九里町を歌った楽曲「守りたいもの」に合わせ、宇津木さんらが振り付けを担い、町内外のイベントで披露してきた。
かのんぷ♪中村大介(以下、大介)「東京の先生に振りを付けていただいたのがきっかけで、東京の方々に九十九里町を知ってもらう機会にもなりました。いまだに踊ってくださる団体もあります」
宇津木「その節は大変お世話になりました。商工会の行事などがあれば、今でも自然と踊れると思います」

宇津木さん photo by Remi Fukuda
── 日本家屋の知恵
自宅は築55年の日本家屋で、2階部分は30数年前に増築した。エアコンは寝室のみに設け、居間にはない。
宇津木「暑い日はエアコンのある部屋に行きますが、冬は居間が暖かいです。両側から日が当たるので、畳も障子も焼けてしまうくらい」
縁側での日なたぼっこも日常の一コマだ。
宇津木「九十九里に来てから、ずっとこの家で暮らしてきました。都会に住みたいと思ったことはありません。壊れた所は直しながら、住み続けたいと思っています」

ウクレレの音でセッション photo by Remi Fukuda
── もったいないの知恵
食材を無駄にしない工夫も、暮らしの中で自然と受け継いできた。大根の皮を使ったきんぴらはその一つ。
宇津木「大根の皮をかつらむきにして余った分を、細く切ってニンジン、塩昆布、干しエビと一緒にごま油で炒めます。少し甘くしたいときはみりんを足します」
姉から自然の状態で育てた野菜が届くこともあり、皮や葉まで無駄にしない習慣が身についているという。
宇津木「今は早く育てるために肥料などを使うことも多いと聞きます。姉は自分たちが食べる分は消毒せずに作っていました」

かのんぷ♪からの質問 photo by Remi Fukuda
── 祭りと地域の移り変わり
かつて真亀地区では、天王様(てんのうさま)の祭礼で「宿(やど)」と呼ばれる当番を集落で持ち回りしていた。宇津木さん宅も宿を務めた経験がある。
宇津木「お宮での食事の支度などを担いました。若い頃だったので大変でしたが、子どもたちは喜んでいました」
近年は担い手の高齢化や人口減少で、祭りの規模は縮小しているという。
宇津木「大人がいなくなれば、子どももいなくなります。今の真亀では、そうした行事はほとんどなくなりました」
一方、東京の染め物職人が子どもの名前を法被に染めてくれた思い出も残る。
── 九十九里町とは
九十九里町の変化について、宇津木さんは人口減少や空き店舗の増加、地場産業の担い手不足を挙げつつも、暮らしへの愛着を話す。
宇津木「地場産業で働く人がいなくなって、外から来た人が担うようになった面もあります。ただ、ここで暮らすことを嫌だと思ったことは、この年になっても一度もありません」
最後に、九十九里町を一言で表してもらった。
宇津木「穏やか、じゃないでしょうか。そんなにとがった人はいないと思います」
里衣「これからも、宇津木さん世代から教えていただきたいことがたくさんあります」
宇津木「私が人に何かをお伝えできることは、あまりないのですが」
大介「こうしてお話を伺えたことを、これからも発信していきたいです」

縁側で過ごす photo by Remi Fukuda
Interviewer:かのんぷ♪ 中村大介 中村里衣
Photo:福田玲美
Location:宇津木邸