特集

【九十九里と、編む。】
「あと1点足りない」ふるさとを生きる なかみち水産・行方孝造さんに聞く、築地と九十九里と家業

店舗前で photo by Remi Fukuda 

 九十九里町観光大使・かのんぷ♪と、九十九里町地域おこし協力隊が取り組む連載企画
 かのんぷ♪×九十九里町地域おこし協力隊 特別企画 vol.3

【九十九里と、編む。】

 この地に移り住む人、働く人、子を育てる人――暮らしの言葉を丁寧に紡ぎ、「九十九里」という地域の輪郭を描く対談シリーズ。

 第3回のゲストは、九十九里町片貝で水産加工会社「なかみち水産」を営む行方(なめかた)孝造さん。高校卒業後に上京し、東京・築地市場の大手仲卸会社で約13年間勤めた後、家業を継ぐため九十九里町に戻った。2021年に社長に就任し、2024年5月には自社のいわし煮干しを使ったラーメン店「NAKAMICHI」を地元・片貝にオープンした。築地での経験と、九十九里という土地への思いを聞いた。


 ── 知らないままたどり着いた築地
 かのんぷ♪里衣「まずは自己紹介をお願いします」

 行方孝造(以下、行方)「なかみち水産の行方です」

 かのんぷ♪大介「そもそも、なぜ一度地元を離れて、そして戻ってきたのか。そのきっかけを聞かせてください」

 行方「もともと家業を継ぐ気はありませんでした。サーフィンが趣味だったので、サーフィンで食べていけたらいいな、という考えもありましたが、現実に仕事となると、それなら東京に行ってみようかと。東京に出た先がたまたま築地だった、というだけ」

 かのんぷ♪里衣「築地に行くことは、最初から決まっていたわけではなく?」

 行方「知らずに連れて行かれました(笑)。父の車に乗せられて、着いた先が築地。面接でも普段着のまま、面接先の会長に『やる気あるのか』と聞かれて、その場で入社が決まりました。そこから13年、同じ会社にいました」

工場の中は魚の香りが立ち込める photo by Remi Fukuda

 ── 家業を継がなかった兄、継ぐことになった自分
 長男である兄が水産業を継がない意向を示したことが、行方さんが家業を継ぐことになった一つの転機だったという。

 行方「兄と姉と私の3人兄弟で、兄は魚が苦手で『絶対やらない』と。高校を出るときにそういう話になって、父も『仕方ない』という感じだったようです。私が継ぐかどうかという話になったのは、その後でした」

行方(なめかた)孝造さん photo by Remi Fukuda

 ── 築地の13年で得たもの
 行方さんが所属したのは、大手仲卸のうちの一社。当初は競りの開始を知らせる鐘を鳴らす役割を担っていた。

 行方「18歳で入って、同僚はみんな22、23歳くらい。たまたま父の知り合いだったこともあって入社できました」

 23歳のとき、先輩の不在をきっかけに、競りを取りまとめる「筆頭」の役を任されることになった。

 行方「本来は40~50代の人がやるような役ですが、上の人がいなくなって、急に『お前やれ』と。そこから商売が面白くなっていきました。あれがなかったら、今とは違う道を歩んでいたと思います」

 築地での13年間で得たものについて、行方さんは魚の目利きの技術よりも、人とのつながりだったと振り返る。

 行方「魚の目利きができるようになった、知識が増えたより、全国に知り合いが増えたことが大きかったですね。九十九里町にいたら、知り合いは数えるほどしかいなかったので」

腰掛けるスペースで photo by Remi Fukuda

 ──家業を継いで
 2011(平成23)年の東日本大震災後、九十九里浜の水揚げ量は大きく減少した。父からは「東京でやっていけるなら、戻ってくることはない」と言われたという。

 行方「その一言に、寂しさのようなものを感じて。このまま終わってしまうなら、もう一回自分でやってみようかと。それが帰ってきた一番のきっかけです」

 帰郷して目にした家業の状態は想像以上だったという。

 行方「正直、『終わってるな』というのが第一印象でした。父からは給料は払えないと言われて、それなら自分で稼ぐからいいと。2年ほどそのままやってみて、これでは勝負できないと思い、全部やり直しました」

工場内を見学 photo by Remi Fukuda

 ── 「来てもらう」商いへ
 工場の見学や視察を積極的に受け入れる姿勢は、行方さんなりの「ブランディング」だったと振り返る。

 行方「入札もあるし、家の仕事も、電話も、銀行回りもある。外に営業に出る時間がないなら、来てもらえる仕組みを作るしかないと思いました。見せられるものは全部見せる。来てくれれば、それがそのまま営業になる。行く営業か、来る営業か。それだけの違いです」

 同業者からの視察にも、聞かれたことには基本的に答えるという。

 行方「閉鎖的な業界なので、隠すこともできるとは思います。でも聞かれれば全部話します。大事なのは知識よりも、判断力とやる度胸の方だと思っているので」

行方孝造さんと中村大介さんは同級生 photo by Remi Fukuda

 ── 街灯のない夜から、ラーメン店「NAKAMICHI」へ
 2024年5月30日、なかみち水産は片貝に魚介系ラーメン店「NAKAMICHI」をオープンした。きっかけは、子どもの頃に見ていた九十九里町の風景の変化だったという。

 行方「自分が子どもの頃の九十九里と、20年、30年たって見た九十九里では、街灯が減って、ずいぶん暗くなったなと感じました。暗いところには誰も集まらない。だから、少しでも明るくしたいと思って、知り合いに寄付をして街灯を付けてもらおうと相談したこともありました。

 街灯の代わりに行方さんが着目したのが、「食べる場所」だった。

 行方「家族で夕食を考えたとき、結局この辺りはコンビニか、東金まで出るかしかなくて…。往復で1時間半くらいかかります。それなら、もともと作っていた煮干しを使って、自分が好きなラーメンをやってみようかと。簡単な思いつきで始まりました」

 ラーメン店の経営は初めてだったが、だしを取る工程は本業の水産加工とも地続きだという。

 行方「一番コストのかかる部分を自分たちで作っているので、完全に未経験で始めたわけではなく、つながっている部分はあります」

工場ラインを説明 photo by Remi Fukuda

 ── 家業を継ぐか迷う人へ
 一次産業の継承に悩む人へ、行方さんは「一度は外に出た方がいい」と助言する。

 行方「1年や2、3年で帰ってくると、結局わがままで終わってしまう気がして…。古いタイプの考え方かもしれませんが、5年くらいは外にいた方がいいと思います。30歳くらいまでは、好きなことをして、いろんな人やいろんな経験に出会った方がいい。ただ、いつまでも好きなことだけをやれるわけではない」

 かのんぷ♪大介「人としての経験値を上げていくことが、どんな業界に進んでも強さになる、ということですね」

 行方「そうですね。同じようにやる必要はないとも思っています。魚屋だからといって魚しかやらないわけじゃない。音楽でジャンルが広がっていくのと同じで、いろいろ試してみて、それがビジネスになればラッキー、くらいの感覚です」

水産加工は九十九里町には大事な産業 photo by Remi Fukuda

 ── 「衰退はチャンスだ」
 九十九里という土地で家業を営む面白さについて、行方さんはこう表現する。

 行方「衰退を楽しいとは言いませんが、チャンスだとは思っています。下がったものは、いつか上がる。音楽だって、いきなりサビから始まることはないじゃないですか。下がりきったら、あとは上がるしかない。そういう考え方です」

 ── 九十九里を一言で表すと
 かのんぷ♪里衣「最後に。あなたにとって九十九里とは、一言で表すと?」

 行方「あと1点足りないまち、ですかね」

 かのんぷ♪大介「あと1点で100点、ということですね」

 行方「そうですね。その足りない1点を、楽しみながら自分たちで埋めていく。それくらいでいいのかなと思っています」

話は尽きない photo by Remi Fukuda

Interviewer:かのんぷ♪ 中村大介 中村里衣
Photo:福田玲美
Location:なかみち水産
 

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